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 藤井町の歴史 

藤井村から藤井町へ
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【藤井町 概要】

村の成立は天正10年(一五八二)前後、信長が和泉の寺社領や地上の所領を取り上げて
支配を強めた次期、この地が開発されたと考えられている。

和泉国南郡掃守郷沼野村の内である。
宮郷は、郷社兵主神社氏子十二ヶ村の内で、また、沼・野・藤井・別所の四ヶ村の沼天神宮郷が組まれており、さらに野村と立合いの天神座を営み最後、村の氏神の弁財天の宮座が六人衆により維持されていた。 (中略) 


秀吉の時代文禄三年(一五九四)になって兵農分かり、刀狩り、検地村切りが行われる。太閤検地といわれ、加守郷の中に藤井村が誕生する。 

村高一八五石余、土地面積十一町五反二畝二十一歩の小さな村で、また六尺五寸竿で二百五十坪一反の丈量による検地であった。 天正十三年(一五八五)秀吉政権下、小出氏領主、秀正・吉政・吉英(よしひさ)(4千石〜3万石)、徳川幕府成立後の岸和田藩は元和五年(一六一五)松平康重(やすしげ)領主(5万石)、寛 永八年(一六三一)二割増高により六万石となる。 

その子康映(やすてる)から、寛永十七年(一六四〇)岡部宣勝(のぶかつ)入城(六万石)寛文元(一六六一)宣勝隠居、二代行隆(ゆきたか)は弟高成へ5千石、同豊明へ2千石を分地し、以後五万三千石となる。

明治元年一月 廃藩置県
 藩知事岡部長職(ながとも)
明治四年七月 岸和田県
 県知事岡部長職
明治四年十一月 堺県に併合
南部加守郷藤井村、(中略)

明治二十二年四月 町村制施行
大阪府泉南郡沼野村大字藤井

大正二年一月 
岸和田町岸和田浜町、岸和田村、沼野村四ヶ村を合併
岸和田町を置く藤井町となる

大正十一年十一月
岸和田町区域に市制を施行藤井町 現在に至る。

       尚、最後の藩主である長職は、廃藩置県以後は明治政府の要職に就き、外務大臣・
            東京都知事・第二次桂太郎内閣の司法大臣などを歴任した。

          藩主家は明治十七年(一八八四)に子爵となり華族に列した。



藤井村の寺社と宮座
  ◎江戸時代神社・寺院
    ・西之内村
      八  幡]
  一、 天照大神]   一社之内 加守郷総社(兵主神社)
      天  神]

      (包近・尾生・額原・上松・下松・藤井・別所・沼・野・西之内・加守・春木  十二ヶ村)

  ・沼村
   一、天神社  沼野宮郷 (野、沼、藤井、別所 四ヶ字)

  ・野村
   一、五兩天神社  野・藤井村立合宮郷野ノ座六人衆

  ・藤井村
   一、辨財天社  藤井村氏神 弁財天座六人衆



参考資料 平成19年 地車大修理記念誌より    
 


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