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岸和田だんじり祭り知っ得情報
[岸和田地車祭りの始まり]
今からおよそ300年の昔、元禄16年(1703)時の岸和田三代城主・岡部長泰公が京都の伏見稲荷を城内の三の丸に勧請し、五穀豊穣を感謝する稲荷祭を行い、城下の庶民に参詣を許したところ大変賑わい、 この時、長持ちに車を付けたような 「だんじり」 が城内に入り、二の丸御殿の前では、神楽獅子を踊ったり、にわか芸などを披露して、お殿様のご機嫌を伺ったのが始まりとされている。 また、200年前頃より、最高機関である年番制度も発足され、今も市民自らの手によって、祭りが運営されています。
(写) サライ2012年7月号より抜粋
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[地車(だんじり)の語源]
日本の祭りの原点は、京都の祇園祭にあると言われ、関東では山車(だし)・屋台(やたい)に相当するものを関西では「だんじり」と呼ぶ。 一般的には、台を引っ張ることから「台ずり」 変じて 「だんじり」。木出し、石出しの山車(だし)から「だしずり」変じて「だんじり」。 南北朝時代、後醍醐天皇のひ孫にあたる、良王親王が、尾張津島天王の祭禮にまぎれて、、仇敵・台尻大隅守を討ち「台尻討った!」と喜びはやしたのがなまって「だんじり」などの諸説があります。
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[だんじり祭りの特色 ◆祭りの組織と運営]
祭りは、町会・年番の両組織がうまくかみ合って執り行われている。町会は町会長を総括責任者とし、祭禮団体では、曳行責任者を長とする。 また、大工方など担当部署別にも長があり、形態的には、各々ピラミッド型の組織が組まれており、縦型の統制がはっきりとしていて、全国の祭りの関係者の注目の的となっている。 なお、年番は、昔の浜・町・村の三地区(三郷)から1年毎の輪番制で選ばれ、互選で選ばれた年番長は、その年の最高権威者となる。
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参考資料 年番冊子
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