[岸 和 田 祭 禮 年 番 史]
●享和3年(1803) 8月12日町方・13日浜方・が檀尻を曳きだす。
当番浜方(正井家文書より)八代・岡部長備の頃。三所(町方・浜方・村方)。
三所の寄り合いが三戸・三郷の寄り合いとなる。
●弘化元年(1844) 当番・岸和田村
●天保9年(1838) 年番という文字が記録にあり、祭りを取り仕切り、無事済
ませることの、大責任を負わされているので権威があり、年番に選出された 人は、その人だけでなく、一家一族の名誉と喜び、立派に勤め上げるよう 祈った。
●嘉永元年(1848) 当番・岸和田村
●昭和32(1957) 本年番(当番年番)の選出は3地区より各1町宛となる。 (従来は、同地区2ヶ町、他区1ヶ町の輪番制)。
●昭和41(1966) 各町選出の年番制が発足。(本年番3町6名の人員から、 他の各町から1名宛(補助年番)、の計23名となる。
●平成6年(1994) 本年番(当番年番)の次年町(年番補佐)が計2名宛、 26名となる。
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